91歳の女性が長く凛とした人生を送って亡くなった。神様と出会うと、女性は長い間気になっていたことを尋ねた。「もし人間が神の形になぞらえて創造され、みな平等に創られたなら、どうしてお互いをあんなに粗末にあつかうのでしょう?」

神様は、「人生に登場する人々というのはそれぞれ、おもしろいことを教えてくれるのだよ。そして、こうした教えによってのみ、私たちは人生や人間、神との関係について学ぶのだよ。」と答えた。神様の答えに女性は混乱した。そこで神様は次のように説明した。

「誰かがウソをついたときは、物事はいつも見かけ通りとは限らないということを教えられる、真実というのはたいてい表面よりもずっと奥深いところにある。もし人々の心の中を知りたければ、彼らが付けているマスクの奥を見ることだ。そして本当の自分を知ってもらうためには、自らのマスクをはずすことだ。」

「誰かに物を盗まれたときは、永久に存在する物はないということを教えられる。常に今ある物に感謝しなさい。いつ失うか分からないのだから。友達や家族がいるのは決して当然だと思わないように。今日、いや、たった今この瞬間しか、いるという保障はないのかもしれないのだよ。」

「誰かにケガをさせられたときは、人間というのはとてももろい存在だと教えられる。できるだけ自分の体を守り大切にしなさい。自分の体だけが、唯一いつまでも自分が持ち続けられるものなのだから。」

「誰かにあざけられたときは、同じ人間は二人といないということを教えられる。自分と違う人々に出会ったときは、外見や行動で判断してはいけない。そうではなく、心の中身で判断しなさい。」

「誰かにハートを傷つけられたときは、誰かを愛しても、相手も同じように自分を愛してくれるわけではないということを教えられる。だからといって愛に背を向けてはならない。なぜならピッタリの相手を見つけたときには、その喜びは過去の傷を全て癒し、さらにその1,000倍くらいの喜びとなるからだ。」

「誰かに恨まれたときは、誰もみな間違いを犯すということを教えられる。不当な扱いを受けたときにできる最も立派な行いは、不当な扱いを行った者を心から許すことだ。自分を傷つけた人を許すというのは、人生の経験で、最も難しく痛みを伴うものだ。だが、人として最も勇気のある行いでもある。」

「愛する人が不誠実をはたらいたとき、誘惑に打ち勝つということは人間の最大のチャレンジだと教えられる。あらゆる誘惑に負けないよう用心なさい。そうすることで、誘惑に負けて得られる一時的な喜びよりもずっと大きな満足感が永続的に得られるだろう。」

「誰かにだまされた時は、貪欲さが全ての悪の根源だと教えられる。どんなに大きな夢であっても、その実現を目指しなさい。成功に罪悪感を持つことはない。ただ、目標達成に執着するあまり、よこしまな事に関わってはならない。」

「誰かにバカにされた時は、完璧な人間などいないということを教えられる。人の良いところを認め、欠点には寛容でありなさい。本人すらどうすることもできない欠点のせいで人を拒絶するようなことがあってはならない。」

神様の英知を伺った女性は、人の良い行いから学ぶことは何もないのだろうかと気になり、尋ねた。神様は、「愛する力というのは人間が持つ最も偉大な才能なのだ。思いやりと愛の根底にあるものや、ひとつひとつの愛に基づいた行いも教訓となる。」と答えた。
女性の好奇心が膨らんだ。神様は再び説明し始めた。

「人が誰かを愛するとき、愛、思いやり、慈善、誠実、謙遜、許し、承認といった類の事が、この世のすべての悪に対抗できるということを教えられる。ひとつの善行に対し、ひとつの悪行がある。人間だけが善悪のバランスをコントロールする力を持つ。でも愛について学ぶ機会があまり無いので、この力は悪用されがちだ。」

「誰かの人生に関わったら、それが計画的であれ、偶然であれ、何を教えることができるか考えなさい。愛について教えるか、それとも現実の辛さについて教えるか。死ぬときになって、あなたの人生は愛と痛みのどちらが多い結果となるだろう?快楽と苦痛のどちらが多いだろう?喜びと悲しみのどちらが多いだろうか?一人ひとりが愛の方向にこの世のバランスを傾ける力を持っている。だからその力を賢く使いなさい。」

私たちは、この世のバランスを、正しい方向へ傾ける機会を逃してはならない!