「死に別れた時もちっとも悲しくなかった」

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「死に別れた時もちっとも悲しくなかった」

6歳で母と、9歳で父と死別し、孤児となり放浪生活を送っていた西村滋さん。
西村さんは、母にいじめ抜かれる。
孤児院を転々としながら非行を繰り返していた西村さんが立ち直ったきっかけとは。...

僕は幼少期に両親を結核で亡くしているんですが、
まず母が六歳の時に亡くなりました。

物心のついた時から、なぜか僕を邪険にして邪険にして、
嫌なお母さんだったんですよ。
散々いじめ抜かれて、憎まざるを得ないような母親でした

これは後で知ったことですが、
母は僕に菌をうつしちゃいけない、
傍へ寄せつけちゃいけない、という思いでいたようです。

本当は入院しなきゃいけない身なんですが、
そうなれば面会にも来させられないだろう。

そこで母は、どうせ自分は死ぬのだから、
せめてこの家のどこかに置いてほしいと父に頼み込み、
離れを建ててもらったそうです。

僕はそこに母がいることを知っているものですから、
喜んで会いに行く。するとありったけの罵声を浴びせられ
物を投げつけられる。

本当に悲しい思いをして、
だんだんと母を憎むようになりました。
母としては非常に辛い思いをしたんだと思いますよ。

それと、家には家政婦がいましてね。
僕が幼稚園から帰ってくると、
なぜか裏庭に連れて行かれて歌を歌わされるんです。

「きょうはどんな歌を習ってきたの?」と聞かれ、
いくつか歌っていると「もっと大きな声で歌いなさい」
なんてうるさく言うから嫌になったんですがね。

これも母が僕の歌を聞きながら、成長していく様子を
毎日楽しみにしていたのだと後になって知りました。

僕はそんなことを知る由もありませんから、
母と死に別れた時もちっとも悲しくないわけね。

でも母はわざとそうしていた。
病気をうつさないためだけじゃない。

幼い子が母親に死なれて泣くのは、
優しく愛された記憶があるからだ。
憎らしい母なら死んでも悲しまないだろう。

また、父も若かったため、新しい母親が来るはずだと
考えたんでしょうね。
継母に愛されるためには、実の母親のことなど
憎ませておいたほうがいい、と。

それを聞かされた時は非常にびっくりしましたね。

それを知ったのは、
孤児院を転々としながら非行を繰り返し、
愛知の少年院に入っていた十三歳の時でした。

ある時、家政婦だったおばさんが、
僕がグレたという噂を聞いて駆けつけてくれたんです。

母からは二十歳になるまではと口止めされていたそうですが、
そのおばさんも胃がんを患い、
生きているうちに本当のことを伝えておきたいと、
この話をしてくれたんですね。

僕はこの十三歳の時にようやく立ち直った、と
言っていいかな。あぁ、俺は母に愛されていた子なんだ、
そういう形で愛されていたんだということが分かって、
とめどなく涙が溢れてきました。

『致知』2011年6月号 特集「新生」より

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「死に別れた時もちっとも悲しくなかった」